■ 戦後復興の始まりと、群馬トヨタの誕生
終戦から、まだ1年あまり。
街には復興の兆しが見え始めたものの、道路事情は悪く、自由に車を使える時代ではありませんでした。
1946年10月2日、そんな戦後復興の曙光のなか、私たちはトヨタ自動車の群馬総代理店として 「群馬トヨタ販売株式会社」 の名で産声を上げました。
社屋は、「山田興業株式会社」の自動車部および工場をそのまま活用したもので、当時働いていた従業員も引き継ぎながら、社員総数38名、役員8名でのスタートでした。
■車を売る前に、地域を支える仕事
当時は、自動車も燃料も統制による配給制。
街を走る車といえば、木炭を燃料とする木炭車が、わずかに見かけられる程度でした。
そのため、創業当初の主な仕事は「車を売ること」ではなく、トラックの修理。
物流や仕事を止めないために、地域の足を守ることが、私たちの役割だったのです。

1947年になると、トヨタ自工(現在のトヨタ自動車株式会社の前身の一つ)から普通トラックBM型や小型トラックSB型、小型乗用車SA型が次々と発売されます。
群馬トヨタでも、小型トラックSB型の移動展示会を開催しました。
しかし、自動車は依然として配給制のまま。1台の車に200人余りのユーザーがつき、年間で販売できたのも約70台という時代でした。
■ 社名の変更と新たな挑戦へ
1948年には資本金を増資し、社名を現在の「群馬トヨタ自動車株式会社」へ変更。
さらに、新たに発売された42人乗りの低床式バスを活用し、「群馬産業バス」を設立します。
前橋・高崎・桐生から銀座までを結ぶ直通便を走らせ、“人の移動”を支える新たな挑戦にも踏み出しました。

同時に販売面でも動きが加速します。
前年に発売された小型トラックSB型を、県の保健所へまとまった台数で納入するなど、販売台数は倍増。
地域の公共サービスや仕事を支える存在として、私たちの役割は着実に広がっていきました。
■ 販売活動の自由化へ
1949年、乗用車の生産制限が解除され、少しずつ暮らしに変化が生まれます。
そして1950年、ようやく自動車の配給統制が全面廃止され、販売活動の自由化が実現。
この年を境に、木炭車に代わり、ガソリン車が徐々に街に増えていきました。
まだ制約の多い時代でしたが、
「地域の暮らしを支えたい」という想いを胸に、私たちは一歩ずつ前へ進んできました。
次回は、新社屋の建設や営業スタイルの転換など、今の働き方につながる出来事についてお話しします。