■ 前回までのあらすじ
戦後間もない1946年。
群馬トヨタは、トヨタ自動車の群馬総代理店として産声を上げました。
自動車も燃料も配給制だった当時、私たちの仕事は「車を売ること」よりも、物流や仕事を止めないための修理を通じて、地域を支えることでした。
やがて販売活動にも取り組みながら、「地域の暮らしを支えたい」という想いを軸に、群馬トヨタは次の成長期へと歩みを進めていきます。
■ 成長への基盤づくりと、新社屋の完成
1953年、資本金を1,000万円へ増資。
事業拡大に向け、新社屋の建設を開始しました。

1954年、創業以来の宿願であった新社屋が完成。
その建物規模は当時、北関東一を誇り、社名のネオンサインは遠く10里四方からも望むことができました。
道路に面した社屋は、全面ガラス張りの屋内型ショールームを備え、らせん階段や広告塔、サーチライトを設置。
サービス工場には柱のない約400坪の大空間を確保するなど、当時の商業建築の先端を行く、モダンな造りでした。
この新社屋は、地域に根差す企業としての存在感を示すと同時に、群馬トヨタの次なる成長を支える、新たな拠点となりました。
■ 国産高級車の誕生
1955年、日本初の本格的乗用車としてトヨペット・クラウンが発売されました。
以後、「クラウン」は国産高級車の代名詞として、その存在感を高めていきます。

当時はまだ、乗用車が誰もが手にできる存在ではなく、購入できるのは主に大企業の経営層などに限られていました。
それでも、クラウンの登場は、日本に本格的な乗用車時代の到来を告げる出来事でした。
■ 営業スタイルの転換 ― 訪問型営業の始まり
トヨペット・クラウンなどの発売を機に、セールスマンに初めて「サービスカー(小型トラック)」が導入されました。
これは、現在でいう営業車にあたるものです。
それまでの内勤や来店対応を中心とした営業から、セールスマン自らが車でお客様のもとを訪ねるスタイルへ。
こうして、地域に密着し、一軒一軒と向き合う「訪問型営業」が本格的に始まりました。
■ 高度経済成長とともに、組織は拡大へ
1955年から1965年にかけて、日本は高度経済成長期を迎え、自動車販売業界も急速な成長を遂げました。
当社の従業員数も、1955年度の115人から1965年度には382人へと増加。
1955年半ばには、販売の主軸もトラックから乗用車へと移行していきました。
■ 業界に先駆けた、営業拠点の展開
1960年7月、本社以外で初となる営業拠点「太田営業所」を開所。
これは県内ディーラーとしても初の営業所であり、当社は拠点展開の先駆けとなりました。
この動きを契機に、県内では各ディーラーが相次いで営業所建設に乗り出し、営業拠点を広げる流れが生まれていきます。
■ 人材育成を軸に、次なる成長へ
1961年、創立15周年を迎え、販売力強化を目的に新入社員40名を採用。
当時の初任給は8,500円で、入社後1年間は学生服で出社するのが通例でした。
1963年には報奨金制度を強化するとともに、資本金を5,000万円へ増資。
さらに北毛地区の拠点として渋川営業所を開設するなど、体制整備を進めていきます。
あわせて、新入社員を3泊4日で自衛隊に入隊させる独自の研修を実施。
人を育てることを成長の軸に、次の時代への準備を整えていきました。

次回は、中古車センターの開設や日曜営業の開始についてお話いたします。