1951年、6月。 まだ戦後の傷跡が残る群馬県高崎市で、ひとつの小さな物語が動き出しました。
手元にあるのは、たった1台の「ポータブル給油機」。 それが、現在の年商160億円を超える企業グループ、赤尾商事の原点です。
なぜ、ガソリンスタンドでもない、たった1台の機械から始まった会社が、70年以上も生き残り、いま「脱炭素」の最前線を走っているのか。
そこには、創業者が遺し、今も私たちが守り続けている「ミッション」が関係しています。
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■「油の町医者たれ」
創業者の赤尾幸市は、ただ注文を待って油を売ることを良しとしませんでした。
ポータブル給油機を担いで工場へ出向き、
真っ黒になった機械の音を聞き、油の汚れを見る。
「この機械、調子が悪いね。この油に変えたほうが長持ちするよ」
それはまるで、患者の顔色を見て処方箋を出す医師のようでした。
「油の町医者たれ」。
これが、創業から70年以上経った今も、私たちが最も大切にしている経営理念です。
私たちは単なる「燃料の運び屋」ではありません。
お客様が抱える「困った」を見つけ出し、技術と知識でおせっかいなほど親身に解決する。
そのDNAは、戦後の焼け野原から少しも変わっていないのです。

■社名に「石油」を入れなかった理由
あなたは不思議に思いませんか?
石油を売る会社なのに、社名は「赤尾石油」ではなく「赤尾商事」です。
そこには、創業時のこんな夢が込められていました。
「いつか三菱商事のように、石油に限らず、なんでも扱う大きな会社になりたい」
その予言は、的中しました。
今の赤尾商事を見てください。
ガソリンやLPガスだけでなく、太陽光パネルを提案し、EV(電気自動車)を販売し、
家のリフォームを手がけ、保険で人生を守り、
さらには廃棄された油をリサイクルして再生燃料に変えている。
「エネルギー」という枠さえも飛び越え、地域の暮らしを支えるためなら「なんでもやる」。
その柔軟な姿勢こそが、私たちが70年生き残れた理由であり、
これから100年企業を目指す自信の源です。
■そして今、私たちは「第3の創業期」にいます。
「脱炭素社会で、石油会社はなくなるんじゃないか?」
そう不安に思う就活生の方もいるかもしれません。
正直に言います。
石油の需要は減っていきます。
しかし、私たちはそれを「チャンス」だと捉えています。
ライバルが減る中で、最後まで地域インフラとしての責任(残り福)を果たしつつ、
そこで得た利益を次の未来――再生可能エネルギーや脱炭素ソリューション――へ
と大胆に投資する。
私たちは今、創業時と同じくらいの熱量で、会社を新しく作り変えている最中です。

たった1台の給油機から始まった挑戦は、まだ終わっていません。
次は、あなたの番です。
「油の町医者」の魂を受け継ぎ、新しい技術とアイデアで、この街の「困った」を解決していく。
そんな泥臭くて、温かくて、ワクワクする仕事を、私たちと一緒に始めませんか?